雨が降る。
風が、がさがさ音を立てた。
あめつぶ
「雨降るんじゃないスか、今日」
「ほんとに?耕史くん、わざわざ天気予報とか見るんだ、」
「昨日、月が曇ってた」
「何それ。靴投げて占うのとレベル一緒じゃん」
もっと理論的だよ。
言うと、彼はその華奢な体を強い風に押される様に歩くテンポを上げた。
風は強くて生暖かい。
裏拍を打つ感覚で一定に追いかけてくる。
「風キツすぎー。何で徒歩なのかなァ!」
「ほんと。スタッフはともかく竜也だけが車だろ。附に落ちねえにも程が有る!アイツが歩けよなー」
「まあジャンケンだしねえ。あーチョキ出してたらなあ〜」
急遽使えなくなってしまったスタジオの代わりにスタッフが見つけた場所までは、徒歩十分程度の距離だと言っていた。
「カメラと一緒に俺も連れてけっつーの」
「副長二人ほってくなんてほんとありえない!一緒に連れてけ〜っっ」
二人で騒ぐ台詞も、耳元で風に持って行かれる。
東京のとある住宅街はひっそりとして居た。
たまに不自然にそびえる事務所なんかが、家々の間で肩身を狭そうに佇んでいる。
「こういうところって不思議とお店無いよねぇ。…俺、なんかお腹空いてきた」
「あー。堺さん遅れて来ましたよね。弁当は例の彼が、」
「ウソ!…あの細い体のどこにそんな食欲が…」
知らない道を歩くのは、実際の距離よりも道のりが長く感じられる。
いや。
長ければ長い程自分には都合が良い。
不謹慎な考えが頭をよぎる。
彼に恋をしているというはっきりした自覚は無い。
気持ちは酷く曖昧で、漠然としていた。
「あっち着いたらなんか頼んだらどうですか、」
「そんな余裕きっと無いよ。今日の分の台詞かなり長いし、しかも読んでないから」
「マジっすか。珍しいですね…」
「耕史くんに迷惑は掛けないから安心して、」
「じゃあNG出したら、今日メシ奢ってくださいね」
そう云って笑うと、うーんと唸って考え込んでしまった。
少し下にある微かにピンク色に染まった頬をぷうっと膨らませて。
彼のたまに見せるそういう一つひとつの仕草が好きだ。
計算ずくの女の仕草も魅力的だけれど、彼のそれはまた違う魅力が有ると思っている。
俺はもう手遅れなのかもしれない。
「しっかし遠いなー」
彼が呟く。
歩く効果音が聞こえてきそうな位辺りは静かだった。
「俺は別に良いけど」
言葉が遠くまで響いて、それを風が散りぢりにした。
続けた空笑いも散らばっていった。
「耕史くんの撮影はこれからまだまだ続くもんねえ」
「…まあね。現実逃避っていうか。俺は今なら歩いてどこへでも行ける、位の」
「ははは!じゃ二人でどっか逃げちゃおうか」
二人で、
心で繰り返してみる何気ない単語。
きっともう完全に手遅れだ。
風の音を音楽に変える事を試みても巧くいかない。
不規則なリズム。
心臓の音と一緒だ、先が読めないんだ。
刻み続ける変な16ビート。
好きだなんて台詞、素面で吐けるほど若くもない。
「…おーい。ちょっと大丈夫?もしかしてあんまり寝てない?」
「それともお腹痛いの、」
彼が顔の前でひらひらと手を振る。
「…や、何でもないっす」
「何が!何考えてんの。あ、怒ってんの?台詞ならちゃんと迷惑かけないようにするから。
長引かせたりしないよ?」
立ち止まると、進行方向を妨げられた風が身体を押し進めようとする。
耳元で鳴る音。
「…怒ってんじゃない、です」
「じゃ何、」
堺さん。
問いに無視して名前をよんだ。
「うん?…あっ今ポツって来た。ほんとに降って来た」
空が重苦しい。
上から圧力がかかってるから風が吹くんだ。
羽織った彼の大きめのシャツが風に吹かれて肩からずり落ちそうになっているのを戻そうと掴んだ。
シャツと一緒に甘い匂いが漂った。
「早く行かないと。耕史くん自分でかばん持ってなくて良かったね」
「…ニオイ。何か付けてんの、」
「は?…耕史くんなんか今日ヘン。先行くよ?」
「…」
衝動が押さえられなくて、彼の細い体を抱き締めた。
「…耕史くん?帰ってこーい」
「帰って来れねー、」
彼はすぐには体を引き剥がさなかった。
薄っぺらい体に染み込んだ甘い匂い。
「…ごめん、俺キモいかも」
「んー…まぁ気持悪いといえば気持悪いかも。ここ道のど真ん中だし。どうしたの、君ともあろう人が。」
意外としっかりしている彼の腕が背中を乱暴に撫でた。
胃が存在を主張するように痛み出す。
「腹痛え」
「やっぱり痛いんじゃない」
雨粒がじわり、白いTシャツに染みを作る。
「…耕史くん。スゴイ顔。眉間、スゴイ皺。」
あはは、
見上げて笑う彼の顔に胃は増々痛む。
「二日、酔いっぽい……」
精一杯眉間の皺を取って、精一杯の笑みを浮かべて、精一杯の台詞を吐いた。
折角築いたこの関係を、積み崩すだけの勇気も根性もない。
潔いだなんて言葉、本当は自分には不向きなんだ。
結局付き合いは誰かのためで、自分の気持ちを知る事にばっかり不器用になってしまった。
「…なんなんだよ〜?もしかしてまた彼女と喧嘩、」
「いや。…とっくに別れたし。っつーか、そんな事はどうでも…。」
「はぁ?せっかく人が心配してるのに、なんか腹立つなぁ!このヤロー!」
いつかその笑顔が、欲しい時に自分にだけ向けられる日がくればいい。
雨が分かりやすいリズムで落ちてくる。
生暖かい空気と久々の雨の匂い。
「ここかなぁ。あーお腹減ったー」
もっと遠かったらな。
胃が押し出した素直な言葉は。
彼に聞こえる事も無く、
水滴と一緒に背中に降りかかった。
END
だいぶ前の話をリニューアルしてみました。
読んだことあるかもしれません・・・。